小室哲哉 BOOWYが羨ましかった - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 小室哲哉 BOOWYが羨ましかった - Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
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でも小室哲哉さんの音楽センスやプロデュース能力も羨ましい限りです。
1 フォーエバー ★ :2024/05/04(土) 23:57:43.29 ID:cVB0I8Iu9
TM NETWORKが作り上げた「Jポップ」…小室哲哉「売れていくっていうのはこういう感じなのか」
5/4(土) 10:00配信
読売新聞オンライン
小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登による音楽ユニット、TM NETWORKがデビュー40周年を迎えた。TMがポピュラー音楽史に果たした役割について、リーダーの小室に聞いた。(聞き手・読売新聞文化部 鶴田裕介)
【写真】「活動終了」前最後のライブ…ステージにはカラフルなライト(1994年)
歌側も音側も…カテゴリーの真ん中に
「Get Wild Continual」を収録したCD2枚組「40+ ~Thanks to CITY HUNTER~」
――TMの特徴の一つは、シンセサイザーで作り上げる先進的なサウンドと、宇都宮さんの歌う、一般大衆にもなじみやすいメロディーの同居だと思います。先進性と大衆性のバランスをどう意識していましたか。
小室哲哉 そこが折り合いのつくポジションだったんです。歌謡曲と、ロックやダンスミュージックといったカテゴリーの真ん中に「Jポップ」という言葉が、ひとくくりにするためにできたのだと思います。Jポップとして存在するためには、両方の面を持っていないといけなかった。歌側だけだと「新しいよね」と言われず、音側だけだとカテゴリーから外れちゃう。うまくミックスしないと、Jポップにはなりづらかったと思います。
少し遡りますが、おそらくBOOWYが、一般の家庭に入っていく意味での両面を出せていたんです。ギターがロックで、歌のメロディーは、もしかしたら歌謡曲にも近い感じがする。ちょっとうらやましいな、と思っていました。
僕らの場合、鍵盤楽器なので、仮にピアノと歌だと、フォークになってしまうかもしれなかったし、先進性がある、みたいにはならない。かといってあまりシンセサイザーを前面に持ってきてしまうと、今度はイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が80年代初期にやっていたようなものになってしまう。
80年代の日本の音楽は、本当に混沌としていたと思いますね。混沌としていたところに、(アニメや映画の主題歌など)タイアップが助けてくれました。認知が広がるのを助けてくれ、90年代に向かって広がっていったと思います。その後は、カラオケとレンタルCD、あとCDラジカセの普及など、どんどん助けてくれるサポーターが増え、Jポップが盤石の体制になっていきました。80年代はそこまで行っていなかったので、大変でした。
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ここは東京だぜ?
わがままジュリエット
羨ましい言いながらディスってるぞ
ボウイの歌って西城秀樹に似てるから間違ってはいない
当時歌謡曲って本もあってな
暴威もちゃんと入ってたよw
振付師にあんな振付要求された宇都宮も被害だよw
BOØWY前とかまんま世良公則だもんな
西城秀樹
キャロル
世良公則&ツイスト
柳ジョージ&レイニーウッド
だな
ボーカルと布袋のメロディがちょうどいい具合に際立つバランス
ビーイングがセカンドアルバム前に諸星と深沢を切らせて4人編成にし
東芝EMIがサードアルバムで佐久間をプロデューサーにした功績
わりと大人が動いたから結果もついてきたな
80年代
BOOWYバービーレベッカハウンドドッグTMブルーハーツ
小室みつ子に形だけでもメンバーになってもらえばよかった
キングクリムゾンのピートシンフィールドみたいな扱いで
しゃどーらー
夢工場じゃね
おまえだろいつもあれ貼ってるの